※本記事の内容は、実務経験に基づく筆者の私案です。法務局の公式見解や確定判例ではありませんので、実務への適用にあたっては、必ず管轄の登記官や専門家と協議の上で行ってください。
はじめに
全11回にわたり、沖縄の難解な土地登記について解説してきました。
最終回の今回は、なぜ私がこの連載を書こうと思ったのか、その「本当の理由」をお話しします。
実は、沖縄の用地買収の実務現場では、ある「暗黙の了解」とも言える処理ルートが存在していました。
しかし、ある一人の登記官が発した「たった一言の異議」によって、その平穏な日常が崩れ去る瞬間を、私は目の当たりにしたのです。
1. 沖縄実務の「楽なルート」:幻の財産区への更正
第1回から「沖縄に財産区は存在しない」と述べてきましたが、実は実務の現場では、不思議なことが行われています。
表題部所有者が「字〇〇」となっている土地について、以下のような処理をするのが「前例(スタンダード)」となっていました。
- 更正登記: 「字〇〇」という記載は間違いだったとして、「〇〇財産区」名義に表題部更正をする。
- 売買契約: 形式的に整った「〇〇財産区(代表者市長)」から、市が用地を買収する。
「えっ? 財産区はないはずでは?」
その通りです。しかし、この方法なら「市(市長)から市への移転」という形になり、自治会の印鑑証明書も不要で、手続きが圧倒的に「楽」なのです。
長年、多くの行政担当者は、この「存在しない財産区への更正」というフィクション(擬制)を使って、円滑に用地を取得してきました。
2. その時は突然やってきた:「登記官の異議」
ある案件で、いつものように「前例通り、財産区へ更正して処理しよう」とした時のことです。
ある一人の登記官が、申請書を見て静かに、しかし鋭く問いかけました。
「この『〇〇財産区』は、地方自治法上の設立認可を受けていますか? 設立されていない団体へ、どうして『錯誤(書き間違い)』で更正できるのですか?」
現場は凍りつきました。
「いや、ずっとこれでやってきましたから」
「隣の市でもこれで通ってますから」
私たちがいくら「前例」を並べ立てても、その登記官は首を縦に振りませんでした。
「前例は法律ではありません。実体のない団体への更正は、論理的に矛盾しています」
その瞬間、私たちが頼ってきた「楽なルート」は完全に封鎖されました。
思考停止で踏襲してきた「前例」は、法理論という刃の前ではあまりにも無力だったのです。
この登記官の指摘は、意地悪ではありませんでした。むしろ、法的に極めて正確だったのです。 私たちが思考停止で踏襲していた「財産区への更正」は、「実体が民間(自治会)であるにもかかわらず、登記の形式だけ行政(財産区)に偽装する」という、危うい橋だったのです。
3. 「パターン A」と「パターン B」の矛盾にお気づきですか?
鋭い読者の方は、本連載を通じて一つの疑問を持たれたかもしれません。
- パターン A(表題部のみ)の時: 「財産区ではない」として市長に否定させた。
- パターン B(権利部あり)の時: 「みなし財産区」として市長を登場させた。
「言っていることが違うじゃないか!」
そう思われるかもしれません。しかし、これこそが「登記という魔物」の正体なのです。

- パターン Aでは: まだ扉が開いていない(権利部がない)状態です。だからこそ、「実体(真実)」である「民間(自然村)」を貫き通し、ポツダム政令という「没収の網」を回避することができたのです。
- パターン Bでは: 過去に誰かが打ってしまった「保存登記(権利部)」という強力な「形式」を尊重しなければ、扉が開きませんでした。だから、あえて「財産区」の仮面を被って市長に動いてもらいました。
4. なぜ「理論武装」が必要なのか
この時、私が痛感したのは、「前例が通じない相手(登記官)が現れた時、私たちを守れるのは『論理』しかない」ということです。
もし、あの時私たちが、
- 「二重構造説(これは自然村の財産だ)」
- 「真正な登記名義の回復(財産区名義は無効だ)」
- 「昭和48年先例(市長証明の効力)」
といった武器(理論)を持っていれば、あの登記官と対等に渡り合い、別の正当なルート(自治会への更正など)を即座に提案できたはずです。
私がこの連載で、あえて面倒な理屈っぽい解説を続けてきた理由はここにあります。
「いつものやり方」が否定された時、立ち尽くすのではなく、新しい道を切り拓くための地図を、皆様に手渡したかったのです。
5. 本土事例(日光・姫路)が教えるリスク
さらに言えば、あの登記官の異議は、私たちを救ってくれたのかもしれません。
もし「楽だから」と財産区への更正(擬制)を続けていれば、どうなっていたか。
ここで、他県の事例(日光・姫路)と比較してみましょう。
日光事例 vs 姫路事例 比較表
| 項目 | 日光事例(ポツダム政令適用) | 姫路事例(行政運用・記名共有) |
| 手法 | 「歴史的経緯が不明」でも「推定」でポツダム政令を適用し、土地を「市(旧町)」に帰属させてから国へ売却した事例 。 | 便宜的に「代表者個人の名義(または市の名義)」とするが、実体は住民のものと扱う。条例がなくても「行政運用」により、補償金を自治会へ支払う 。 |
| メリット | ① スピード解決: 認可地縁団体の設立手続きを省略でき、市への保存登記のみで即座に用地取得が完了する 。 ② 自治会負担の軽減: 総会開催や規約作成が不要 。 ③ 予算の節約(?): 補償金が市の歳入となる 。 | ①圧倒的なスピード: 認可地縁団体化を待たずに、実質的な解決(買収・補償)ができる。 ② 行政の裁量: 条例がなくても、首長の英断(行政運用)で住民救済を実現できる 。 |
| デメリット | ① 地域信頼の崩壊: 「根拠がない」として補償金を地元へ還元しなかったため、事実上の「没収」となった 。 ③ 補償の説明責任: 住民への説明が苦しくなる。 | ①属人性: あくまで当時の担当者と首長の「政治的判断」に依存するため、現在のコンプライアンス基準では管財課や会計課が難色を示す可能性がある。 ②法的安定性: 形式的には「錯誤」を用いているため、厳密な法理とは乖離がある。 |
日光事例:表題部所有者不明土地をポツダム政令に基づき取得した事例 日光砂防事務所
姫路事例:用地ジャーナル㉘1996年6月号 補償事例「旧村(大字)有財産」の取得について
6. 総括:前例が通じない時の「お守り」として
用地課の仕事において、「前例」は業務を効率的に進めるための重要な道しるべです。
しかし、時代や担当する登記官が変われば、今まで通っていたはずの「前例」が突然、否定される瞬間が訪れます。
そんな時、ただ立ち尽くしてしまうのか、それとも別のルートを提案できるのか。
そこで実務家としての真価が問われます。
本連載で紹介した「二重構造説」や「回復登記」といった手法は、あくまで筆者の経験に基づく「私案」の一つに過ぎません。
これが唯一絶対の正解だと言うつもりはありません。
しかし、もし将来、皆様が厳しい登記官に出会い、「前例」を否定されて八方塞がりになった時── このブログで紹介した理論は、皆様の窮地を救う「法的なお守り(武器)」になるはずです。
「楽な道(更正)」が閉ざされた時にだけ使える、少し険しいけれど「確かな道(回復)」。
そんな選択肢をポケットに入れておくことが、沖縄の土地問題を解決する一助になれば幸いです。
長い間、お付き合いいただきありがとうございました。 (完)
【番外編】「でも、ウチの役所はずっと『更正登記』でやってますけど?」という方へ
本連載を読まれた実務家の方から、このような声をいただくことがあります。
「理屈は分かった。でも、ウチの役所では今まで『字(あざ)』から『財産区』へ『更正登記』するだけで簡単に処理してきたし、法務局も通ってきた。 わざわざ面倒な手順を踏まなくても、その『前例』でいいんじゃないの?」
もちろん、その手法で解決できているなら、一つの実務判断として尊重されるべきでしょう。 しかし、その「楽なルート(安易な更正)」には、ある重要な通達の解釈において、法的なリスクが潜んでいる可能性があります。
次回の【番外編】では、あくまで「転ばぬ先の杖」として、実務で行われている「楽なルート」と、本連載の「王道ルート」を比較してみます。 「なぜ、あの時先輩たちはあんな処理をしたんだ?」と将来言われないための、最後の補講です。
▶ 【番外編】「前例通り」の落とし穴 〜その「更正登記」はいつまで通用するのか?〜
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