沖縄の不動産実務に関わっていると、昭和40年代の分筆登記なのに「地積測量図」が法務局に備え付けられていないケースによく遭遇します。
「紛失か?」と疑いたくなりますが、実はこれ、沖縄の歴史的背景による「仕様」なのです。
今回は、沖縄特有の「図面がない理由」と、その境界線となる日付について解説します。
はじめに:本土とは「義務化」のスタートが違う
「昭和45年の分筆なのに、測量図がないなんてあり得ない!」
本土から来た不動産業者や金融機関の担当者が、よく驚くのがこの点です。
実は、不動産登記法において地積測量図(や建物図面)の添付が義務化された時期が、本土と沖縄ではズレているのです。
比較:義務化のタイミング
以下の表をご覧ください。この「12年間のタイムラグ」が、図面不在の空白期間を生んでいます。
| 地域 | 添付義務の開始時期 | 根拠・背景 |
| 全 国 (本土) | 昭和35年(1960年)〜 | 不動産登記法の改正により、表示に関する登記制度が創設。分筆や地積更正時の測量図添付が義務化された。 |
| 沖 縄 | 昭和47年(1972年) 5月15日〜 | 本土復帰の日から日本の不動産登記法が適用され、同時に添付義務が発生した。 |
つまりどういうこと?
- 本土の場合: 昭和35年以降の分筆なら、原則として測量図があるはずです。
- 沖縄の場合: 昭和35年~昭和47年5月14日までの間は、米軍施政下(琉球政府)の法令が適用されていたため、現在の地積測量図を添付する義務がありませんでした。
これが、「昭和40年代なのに図面がない」最大の理由です。
例外:復帰前なのに図面があるケース
「でも先輩、昭和45年の登記だけど、古い青焼きの図面が入っていましたよ?」
それは、当時の土地家屋調査士(または測量士)が「任意」で添付してくれた貴重な資料です。
義務ではありませんでしたが、正確性を期すために添付された図面が、現在まで保管されているケースがあります。見つけたらラッキーだと思って大切に扱いましょう。
Geminiに聞いてみた!
ここからは、AI(Gemini)に沖縄の登記の歴史的背景を深掘りしてもらいました。
Q. 沖縄復帰前(琉球政府時代)、測量図の添付は義務化されていましたか?
A. いいえ、義務化されていませんでした。
沖縄の復帰前(1972年5月14日以前)は、日本の不動産登記法が適用されておらず、琉球政府の法令に基づいて登記が行われていました。そのため、現在の規格である「地積測量図」や「建物図面」の添付義務はありませんでした。
背景には、沖縄特有の複雑な土地事情があります。
- 公図・公簿の焼失:沖縄戦により、宮古・八重山を除く本島地域の公図・公簿のほとんどが焼失しました。
- 所有権認定の混乱:戦後(昭和21年~)、米軍による土地収用や基地建設が進む中で、「土地所有権認定事業」が急ピッチで行われました。しかし、これは短期間での聞き取り調査等が主だったため、現地と図面が食い違う「地図混乱(公図と現地のズレ)」が多数発生しました。
- 琉球政府による対応:昭和30年代に入り、琉球政府も正確な測量を目指しましたが、現在の日本の登記制度と完全にリンクするような図面管理体制が整うのは、昭和47年の本土復帰を待たねばなりませんでした。
【結論】
昭和47年5月15日の本土復帰をもって、沖縄にも日本の不動産登記法が全面適用されました。これ以降の分筆・建物表題登記については、本土と同様に図面の添付が必須となっています。
逆に言えば、「復帰前の土地は、図面がなくて当たり前(あったら奇跡)」という前提で調査を行う必要があります。
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